ロボットと未来社会 大阪大学 石黒教授
「一言」 先日、東芝の展示会の講演を聞きに行って、石黒教授のお話が面白かったので、まとめたいと思ったが、メモが不足していて
まとめることが難しかったので、インターネットを見て、良く似た講演メモを作成した。最後に、特徴的なことを追加した。
「メモ」 ・ロボット研究を始めたのは、人間を知りたいと思ったからだ。きっかけは、小学校5年生の時。先生から「人の気持ちを考えなさい」
と言われて、すごく驚いた。人の気持ちなんてそう簡単に分かるわけない。それなのに、大人ってすごいことを言うと思った。人の
気持ちを考えるためには、少なくとも、「人って何か」、「気持ちって何か」、「考えるって何か」の3つを分かっていないといけない。
答えをいつか教えてくれるんだろうと、待っていたが、誰も教えてくれなかった。待っていて分かったことは、“大人は何も分かって
いない”ということだった。分からないことを分かったように言っているだけであり、人の言うことを鵜呑みに、うそばっかり言っている。
真に、思考停止状態だ。それが大人になるということなんだ。そんな嘘つきの集まりである“大人の社会”に出ていくことに、僕は
抵抗を感じたので、社会に出ないでそのまま大学に残り、研究者になった。
・人とロボットはどう関われば良いか、ロボットをどういうふうに開発すれば良いか、人の行動を認識するセンサネットワークをどう作れば
良いのかということを10年以上研究してきて、強く思ったのは、人と関わるロボットを作るには人を知らないといけないということである。
ロボットを作ることは、人とは何かを知ることなんだということが分かった。 本当にロボットが好きな人は人型のロボットは作らない。
・そこでよく考えてみると、ロボット研究者というのは、ロボットの動きについてばかり研究しており、ロボットの見かけについては拘って
こなかった。しかし、人と関わるロボットは、見かけはかなり大事である。遠くから歩いてくる綺麗な人を見れば注意が向くし、毎朝鏡で
チェックするのは動きじゃなくて見かけである。それなのに見かけを研究してこなかった。これは大きなミスだと気づいた。
・それで、人間に酷似したアンドロイドの研究を始めた。まず、4歳だった娘をモデルに子供アンドロイドを作ったが、当時はまだ、お金が
なく、モーターを頭にしか入れられなかった。眠い動作は自然に作れたが、「うなずく」動作をやらせると体まで震えて、どうも不気味さ
が残った。森政弘先生が発見した「不気味の谷」という現象がある。横軸に人間との類似度、縦軸に親近感をとると、ロボットが人間と
よく似てくるほど親近感が増すが、非常に人間に近づいたところで、急に不気味に感じるようになる。ゾンビはこの不気味の谷の底で
ある。この不気味さを克服するため、人間らしい見かけと動き、人間らしい知覚と対話能力が必要と考えて作ったのが女性アンドロイド
である。空気アクチュエータという、いわば人工筋肉を上半身に組み込み、表情も作れるようにした。人間はただ座っていても目や体が
微少に動いているものだが、そういう無意識の動作を再現した。このアンドロイドを1.5mほど離れた状態で2秒だけ見せる実験をした。
動きのない状態のアンドロイドでは8割の人が人間ではないと気づいたが、自然な目の動きと体の動きがあるアンドロイドを見せると、
7割の人が人間だと答えた。次に、アンドロイドと対話する被験者の目の動きを調べると、人を見た時とアンドロイドを見たときの目の
動きは一緒だった。無意識にはアンドロイドを人間と同じように捉えていたということである。
・アンドロイドには無意識に人間を感じている。意識すれば違いがが、短時間では人間と区別がつかない。それがアンドロイドの
迫力であり、面白いところである。短時間では人間と区別がつかないことも大事である。我々が日常生活で、例えば、コンビニ
の店員とどれだけ長い時間接するかというと、ものを買うだけだったらわずか数十秒間かも知れない。会社の受付なら、前を
通り過ぎるだけで、アンドロイドと置き換わったとしても、気づかないかも知れない。とはいえ、人とロボットはまだ長時間関わる
ことは出来ない。人間そっくりのアンドロイドは人間と同じことができるのかと期待されるが、それは絶対ないのである。そのため
には人間の脳と同レベルのコンピュータが必要であるが、脳についてはまだそれほど分かっていない。人間と長くしゃべり続け
られるアンドロイドは、少なくとも私が生きている間にはできないと思う。
・それで、遠隔操作型ロボットを作ることにした。自然な動きはそれまでの技術で組み込み、操作者がインターネットを介して話す。
コンピュータが唇や頭の動きを自動認識して声とともに送ると、アンドロイドの唇が同期して動く。操作者はアンドロイドを見るモニタ
と訪問者を見るモニタの両方を見てしゃべる。これで操作者も訪問者も、アンドロイドを私だと思うようになる。「双子のようなもの」
という意味で「ジェミノイド」と名付けた。学生が私の癖や仕草を正確に再現した。驚いたのは、私にはそれが自分の癖だとは思え
なかったことである。自分の声を録音して聞くとへんな感じがするのと同じである。ふだん意識して見ていない自分の癖は、自分で
見ても自分のものだとは思えない。自分は自分のことを他人ほどは知らない、ということである。ジェミノイドの顔にセンサーは
つけていないが、訪問者に顔を触られると、操作者は触られた感覚を持つ。頬をつつかれると、すごく屈辱的な感じがする。
本当に誰かが触っている感覚がある。これは私だけでなく、他の操作者もそう感じた。自分は自分のことを他人ほど知らないから、
ロボットが動作をすべて正確に再現する必要はない。唇の動きしか同期していなくても自分の体だと認識できる。 唇の動きなど
一部の動きがちゃんとつながっていると、その体を自分の体だと錯覚する。脳と体は密にはつながっておらず、脳は予測のもとに
活動しているだけである。そのため、ジェミノイドを使えば、インターネットを通して遠隔地で存在できることになる。例えば、奈良の
研究所にいるジェミノイドを私が大阪から操作すると、学生はジェミノイドに私の権威を感じる。ジェミノイドをカフェに置きっぱなしに
する実験では、半分ぐらいの客は気づかなかった。残り半分は気づいたが、ジェミノイドと話し始めると普通に接するようになった。
いつも、一人でご飯を食べて淋しかった人が、ジェミノイドと一緒にご飯を食べたら淋しくなかったとのことである。
また、誰のジェミノイドかによると思うが、「ジェミノイドと恋愛できるか?」と聞いたら、できるという人がほとんどだった。
・私は、ジェミノイドが携帯電話に続く新しいメディアになると思っている。電話は場所と場所を越えて人をつなぎ、携帯電話は場所と
時間を越えて人をつないだが、ジェミノイドは人間の存在を遠隔地に送る新しいメディアになると思う。ジェミノイドの世界がきたら
どうなるかを描いたのが映画「サロゲート」である。映画では、人々は完全に自分を表現したロボット(サロゲート)を安全で快適な
部屋から操作して生活している。それは犯罪も痛みもない理想的な世界であり、化粧とサロゲートの対比、携帯電話とサロゲート
の対比、「あなたはあなたのサロゲートに似ている」というセリフなど、いろいろと示唆に富む映画である。映画では最後に、人間は
救われるのに、サロゲートは救われませんよねというセリフがある。映画館を出た後、安心してもらうような描き方にしたのだと思う。
・最先端技術で作られる近未来社会を検証すると同時に、人間や人間社会の本質を問いかけている映画であるが、現実は映画を
超えてくると思う。その点で特徴的なのは、アンドロイドの電源を切った時の様子で、空気が抜けてだんだん萎んでいくのを見た人
はそこに人間の死を感じるのである。アンドロイドは人間よりも人間らしい死に方を表現できるのではないかと思う。
・アンドロイドは人間を越えられるのかという挑戦を始めている。一つは、人よりも人らしいアンドロイドを作ることである。いわば人間
のマキシマムデザインである。人間より豊かな表情を持ち、言語の表現能力が非常に高いアンドロイドである。それに人間らしい
社会行動をプログラムすれば、普通の人よりはるかに完璧な人間ができあがるのか。そういうものを人はどう受け止めるのか。何に
使うのか。それを見てみたいと考えている。
・一方、私は人間としての最低限の形も追求したいと考えており、ミニマルデザインの「ジェミノイドM」である。目は動くが、顔の造作は
ごくシンプルなものである。ジェミノイドは一体1000万円はするが、ジェミノイドMは最終的には数十万円位で大量生産したいと考えて
いる。人の見かけはどこまでそぎ落とせるのかが知りたいと思う。それをジェミノイドとして使えば、誰もが誰もの姿形を思い浮かべる
ことができるようなものになる。誰もが適応できる代理になるかも知れない。おそらく、人間は姿形の奥に人間の本質がきっとあると、
信じたいはずである。でも、きっと人にも心はないのである。ただ、みんなが互いに心があると信じているので、自分にも心があると
信じている。ゆえに、ロボットにだって心を持たせることはできる。それでも、アンドロイドは機械で人間とは違うと人は思うわけである。
・では、機械と人間の最も大きな違いはなにか。人間の脳は、電気に換算すると1ワットしか使わない。一方、人間と同じような複雑な
機能を持ったスーパーコンピューターは、5万ワットも必要となる。根本的な違いは、人間のような生体がゆらぎ(ノイズ)を利用して
いることであり、分子から細胞まですべてがゆらいでいて、それを自然なままに利用していることが大きく違っている。
・ゆらぐというのは、0か1かではなく、0.1もあれば0.01もあるということであり、コンピュータは膨大なエネルギーを使いノイズを抑え、
0か1かの世界を作り出している。もしもコンピュータがゆらぎを用いれば、非常に生体に近いロボットができる可能性がある。
例えば、私が作った複雑な腕ロボットは自分の腕の構造とか、筋肉が何本あるか、ということは知らない。でも、ちゃんと動かせる。
人間も同じで、生まれた直後はかなりでたらめに動くが、しばらく体を動かしている内に少しずつ学習し、段々うまく動くようになる。
・実は、心だってそうかもしれない。人を好きになる時も、見かけだけで好きになる訳ではないし、見かけだって色々な角度があるし、
しゃべりとかいろんな要素がある。最初は色々ゆらぎながら、でたらめに何かしている内に、だんだんその人に惹かれるように
なる。更に、少し動くと更に惹かれて好きになっていく、というものではないはないかと考えている。
・人間の中身は機械で再現できてしまう。生体原理に基づけば、心のゆらぎも再現できる可能性がある。では、体を機械に置き換えた
人間に残るものは何なのか。ロボットと人間の差は何か、人間とは何か、何が人間を人間たらしめているのか。そこを考えるのに、
ヒントは3つあると思っている。一つは、自分は自分のことを他人ほどは知らないことである。それから、人に歴然とした心はなく、
相手に心があると思うから自分にも心があると信じているということである。そして、心とか感情とか、意識は、社会的な関わりの
中でこそ確信できるということであると考えています。心の存在は強く感じる。でも感じるがゆえに、心の存在に疑問を持っている。
ロボットを研究すればするほどその疑問は強くなる。そうやって人間とは何かを考えることこそが、人間として生きることであり、
働くことだと思う。そのためには、人は人を映し出す鏡であり、人と関わらずして人は人になれないと認識すべきであると思う。人と
関わって社会的な関係を持つから、心を感じることが出来るし、心とは何か、人間とは何かを考えることができる。だから、仕事や
恋愛は非常に重要なのである。どんな仕事でも、どんな恋愛でも、少なくとも、私が生きている間はこれしか答はないだろうと思う。
・人間とは何かは分からないけれども、漠然と分からないのではなく、人間がどれだけ複雑か、どれだけ神秘的かが研究の中で少し
づつ分かるようになってきている、という感覚がある。例えば、山に登ろうという時に、霧がかかってどれだけ高いか分からないが、
近づくほどいかに山が遠いかが分かってくるのに近いという境地である。
(質疑)・ジェミノイドの股間はどうなっているのか?性器は、実はつけられるようにしている。人との関わりを見るには、性差が どうして
も必要だからである。人が人に惹かれる仕組みはセックスに非常に関係があるはずである。例えば、サルやホタルの研究
ではセックスを根底にした議論がなされているのに、人間になると途端に、性の問題と社会の問題が一緒に議論されなくなる。
それはおかしい。それが真理の探究を阻害するのであれば、科学者はモラルを捨て切らないといけないと思う。
・我々は税金で研究しているが、税金を払う人は研究を同じレベルで理解しているとは限らない。昨年の事業仕分けでも、二番
ではいけないのか、という発言があったが、そんなのダメに決まっている。一番をとる以外は研究ではない。そこが分かって
いない人に税金を割り振られる国では、気をつけなければいけない。性の問題は、十分な理由づけができれば、一気にいく。
中途半端にやるのは一番良くない。このことをアンドロイドの時に思った。中途半端なものを作ったらバカにされるだけである。
やるからには迫力あるものを出して、くだらない議論を飛び越えたところで認めてもらう以外に方法はない。
・これは恩師に教えられたことである。ロボットをどう作ろう、と思っても発見はないが、人間とは何かを考えれば、新しいロボット
は作れる。例えば、歩くロボットを作ろうとすると、ホンダも作っている。それでは、もっと速く歩かせるにはどうしたら良いかと
考えると行き詰まる。でもより広い視点で、人間が行動するとはそもそもどういうことかを考えれば、まだやられていないことが
見えてくるのである。
・遠隔操作型ロボットはやってもしょうがないという雰囲気だったが、私は無理なことをいつまでもやってても仕方がないし、何か
間違っているのかもしれないとも思った。問題を解けないままに置いといて、次に出来ることをやるしかないのである。かなり、
異端だったと思う。研究者はいったん分野ができると、それしかものが見られなくなるが、そもそも研究というのはそうじゃない。
既存の分野にとどまっていたって新しいことがやれるわけではない。
・ミニマルデザインの次に見据えているのは、実体のないロボットである。声だけで人の存在が感じられるものである。目を閉じて、
誰かがしゃべったらそこにいると思えるものである。聴覚だけでその人の存在が感じられるものであるが、これまでのスピーカー
は忠実に音を再現することはしていない。人間がしゃべると体で反響するけど、スピーカーはそういう音の再現方法はしてない。
例えば、奥さんが「あんた何してんの」と言ったら本当にびくっとするロボットを手がけるつもりで、そうなると、実体はもういらない。
・最初は見かけから入ったのにもう見かけはいらなくなったというのがおもしろい。その内に仏教みたいに「無」にたどりつくかも
知れない。最後は宗教ではないか思う。産学連携ならぬ教学連携か!科学で、あいまいなところに適当な理由をつけて安心感
を与えるような宗教ではなく、あいまいなところを考え続ける宗教をやりたい。人間とは何か考えても分からないけど、考えること
をやめられない。それが安定であり幸せである。そういうことを共有できるような宗教をやりたい。それはいってみれば科学だけど
一般の人は宗教と言わないと敷居が高いだろうと思う。
私は、いまの社会で日本を持ち上げるには、哲学をもたせるしかないと思っている。そのために、ロボットの話で人を泣かせて
みたい。泣くほど感動すれば、その人は哲学を始めると思う。「アンドロイドサイエンス」で一般の人にも哲学を始める、きっかけ
を持って欲しいと願っている。
先日の講演メモ(追加)
・人を知るためにロボットの研究をしている。HRI(human Robot interface)研究を創生し、どうやれば人らしいロボットを作るかが
テーマである。これまではロボットと人が一対一で対話する形が中心であったが、普通の会話は3人以上で話すことが多い。3人
以上で会話すると会話の話題が色々と変わっていく。そこに自然な会話が出てくると思う。
・後ろ姿は何故美人なんか、電話のオペレータは何故美人なのかということから、人は相手を想像して関わり、想像においては
すべてポジティブであると考えた。そこで人間を想像するシンプルなハクビーを作った。手掛かりが一つしかないと、人は良い
方向に考えるので、出来るだけシンプルな形態にした。ハクビーを老人に見せて抱かせるとみんな喜んでくれる。
・人の存在を感じるためにはどのような条件があれば良いかというと、2つのモダリティが人間を表現するのだと考えた。あくまでも
仮説であるが、声と体、見かけと体、においと体、声とにおいのように2つのモダリティで人間を認識すると考えた。例えば、多くの
人は声を聞き、においを感じると誰ということが分かったと考える。 ハグビーは人の存在を伝えるミニマムなメディアである。
・ハクビーを抱くとストレスホルモンが下がり、リラックスする。小学生に持たすと集中力が増して、大人しくなる。ロボットの研究を
通じて、人とは何かと言うと、自分のことを知らないが、お互いに信じることで社会を作っていると考えられる。一方、知らない人間
が互いに観測することで、人間を理解できるようになると思っている。認知症の人は話すのが嫌になっているが、ハクビーと話すと
良く話すようになるということが出ている。自分のことを知らないため、他人の身体であっても、適用し易いという特徴を持っている。
・これまでのロボットは動作とか発話などに限定されていたが、意図と欲求をロボットに持たせたい。意図や欲求をちゃんと理解できる、
非常に限られた範囲でも良いが、そういう対話能力のあるロボットをつくるというのが目標になっている。そうするとロボットと人間が
共存するとはどんなことか見えてくるようになると考えている。 以上