ビジネスに生かす古田流チームマネージメントとプレー戦略 古谷敦也様
1.野村監督との出会い
・古田さんのチームマネージメントという題目だったが、お話の内容は野村さんのお話がほとんどだった。
・古田さんがヤクルトスワローズに入団したのは、野村さんが監督が就任した年であった。
野村さんはいつも不満ばかり言っていたが、チームのメンバーから強い批判が出てこなかった。野村監督の仁徳
のようなものがあった。野村監督が就任して、全員が1月末に集まった。ほとんどの選手は野村監督とは初対面
だったので、どのような話をするかと待っていた。大きな音がしてドアが開いたが、ゆっくりと監督が入ってきて、
何も言わず、ボードに耳順という字を書いた。選手に誰か意味を知っているかと問いかけた。
誰も知らなかったので、監督は耳順という言葉は情報を収集するということだと説明して、人の話を良く聞き、情報
を集めましょうと言った。野村監督は、耳を使えない奴に、人間の成長なし、人間の成長しない奴に、野球は出来
ないと言って帰って行った。
・次に日も同様に入ってきて、ボードに仕事と書いた。選手は野球を頑張れば良いと言ったら、違うと言った。
仕事をどう取り組んでいくのかということで、ヤクルトに関わっている人は沢山いるが、これらの人を幸福にする
ことだと言った。それにはチームが勝つことで、組織の利益が最優先であると言った。自分だけがどうののこうの
ということは2の次であると指摘した。野村監督は野球の技術のことを言うことは少なかった。
・3日目も同様に入ってきて、仕事の3原則とは と書いた。古田さんが指名されたので、報連相の話をすると、違う
と言われた。仕事の3原則は、計画、実行、確認だと言った。この3つのことをきちんとすれば上手くいくと言った。
更に、実行する前に確認することで、何を実行するか考えられることがあると言った。
・野村さんはミーティングを毎日行い、野村監督についていくと勝てると思うようになった。野球の選手はあまり勉強
してなかったが、9年間経つと知識欲が出てきた。自分が変わってきた。チームにも団結力が出てきた感じがした。
2.若松監督に交代
・野村監督の後任になった若松監督は自分からは色々なことは話をせず、コーチに任せて、色々と話をさせた。
野村監督の時はトップダウンだったので、若松監督は、若い人を伸ばすには、コーチの任せたのである。
しかし、コーチに任せきりにしたのではなく、事前にコーチたちと話をして意識合せを行った上で、コーチから説明
させていた。古田さんは野村監督と若松監督という真逆の監督に仕えたことになる。
・若松監督の後、古田さんがヤクルトスワローズの監督になったが、それぞれの良いところと取って監督をした。
古田さんとしてはチームを活性化するために、特別な戦略があるとは思っていないので、その時々に考えられる
取り組みをしてきたと言って、古田さん自身の特別な取り組みについてはほとんど話されなかった。
[感想]古田さんは気楽な感じでお話をしていた。チームマネージメントという題目であったが、野村監督や若松監督の
取り組みを参考にチームマネージメントの内容を説明してくれた感じがした。