大局観 H23.11.11 羽生名人
1.大局観
・大局観ということが何かというと、木を見て森を見ずのことばの対極的な言葉だ。大局観は、これからどうなっていくのか、
大まかに見ることである。何手先を読めるかと問われることがあるが、組み合せは掛け算で増えるため、答えは難しい。
・将棋を打つ時にどうなっているかというと、直感を使っている。1画面で打つ手は80通くらいあるが、2〜3通りに絞って
考えて、先の手を読むようにしている。直感は、カメラで撮る時にピントを合わせるのと、良く似ていると考えている。
・将棋では、読みと直感と大局観を使っている。10代、20代では読みが中心となる。先を読もうとすると数の問題になる。
若い人は先を読もうとするが、すべてを読むことは不可能である。その時に必要になるのが大局観と直感である。
大局感を使うと余計なことを考えなくて良い点がメリットである。直感と大局観は経験を積んで磨かれる。そのため、
年数を積むと直感と大局観を使うようになる。読みは正確であるが、ある範囲に限られる。一方、直感や大局観は大きく
見ることが出来るが、具体的な手を探すことが課題となる。試合では朝9時から夜8時頃まで2日間行うことになる。
・長く考える場合があり、長考という。長考に名手なしと言われる。長く考えているのは考えているより、迷っていることが多い。
ベストが分からない時に見切りをつけて踏ん切って打ったのが、上手く行く時は調子が良い時である。
2.実力と調子
・調子が悪い時に、不調なのか、実力が低下したのか悩むことがある。実力の問題なら自分で努力・研鑚すれば良い。
不調ならば、努力している方法は正しいが、まだ、成果が出ていないことだと思う。不調な時に、やり方を変えてしまうと
正しいことをやっていたのに、元に戻ってしまう。この時は、生活を変えたり、アクセントを変えて乗り切るようにしている。
・アスリートのインタビューを聞くと、楽しんで競技をしたいということが多い。試合で緊張して実力を出せないことがある。
緊張して上手くいかないということがあるが、最悪ではない。やる気がなくなった時は、最悪な時でどうしようもない。
試合で、上手くいくことが分かっている時も、まったく出来ないと考える時は、プレッシャーは起こらない。
もしかしたら上手くいくと考える時にプレッシャーが起こることであり、かなり良いところまで来ているということである。
・プレッシャーが機会となり、集中力が出て、伸びる場合がある。集中力は急に言われても出てこない。ある程度の助走
期間が必要である。一日中、集中することも難しい。緊張の中で集中できる。大事なことは五感を駆使することである。
・一手負けをしたことがある。これは棋士の恥であると言われる。ミスをした時は分かっており、ミスを重ねる場合が多い。
ミスをした時はそれまでの作戦を作り直す必要があり、難易度が上がっていく。そのため、ミスを重ねることになる。
どういうことするかというと一息つき、冷静さを取り戻す方法がある。反省会をするが、反省会をしないと同じミスをする。
・大山さんと将棋を打ったことがある。大山さんは先を読むというより、大局観で一手だけ動かすような感じであった。
大局観は経験がものいう。類似的な面を見つけ、新しい手を見つける。沢山の知識やデータから創造することが出来る。
創造性を上げるには良い時代になったと思う。その中でどう創造性を作っていくのかがポイントである。
3.リスクと進歩
・一歩退いて違う視点から見ることも大事である。小さなリスクを取り続けることも一つの方法である。
小さなリスクを取り続けて、1年、2年の間に、大きく変わっていったということもある。
若い時はリスクを認識せず、沢山、手を打っていることがある。やがて大丈夫になる。
経験を積むと無難な方を選ぶようになってくる。高齢で元氣で長生きした人はリスクがほとんどない。
ピンチの場面にベテランは強い。しかし、若い人が大胆で思い切った手を打って上手くいくことがある。
私は、リスクとして理解して、アクセルを踏んでリスクを取ることがあるので、アクセルとブレーキを踏み分けている。
大震災の後は予想外のことが多く起き、場が荒れる。このような時は時期を待つ心構えで取り組むことにしている。
将棋で迷いなく決断するためには、やり残したことがないと思った時である。
そのために “一止明水” のような気持ちで将棋を打つようにしている。