問い直される安心と安全 ~放射能と食のリスク社会~ 社会学部 藤川教授
・問い直される安全とは何なのか?従来の赤痢やコレラは地域的問題で、社会的な問題として扱われなかった。
日本でも森鴎外が生のものは一切食べないというように、社会的課題として衛生、健康が扱われるようになり、
明治から大正に盛んになってきた。生のものをそのまま食べることの問題が軍隊等で課題になってきた。工場も
製造を止めることができないので、社員には必ず出社することが求められた。学生時代から教育するようになり、
労働者も健康が責任として求められるようになった。健康のための研究が進み、更に、毒ガス等の研究になった。
・R.カーソンが1962年に「沈黙の春」で農薬被害を取り上げた。1980年になり何かが危ないという考えから、色々な
ものが危ないという考えが出てきた。産業革命は富の分配の問題であったが、現在はリスクの分配が重視される
リスク社会になってきた。2000年代に入ると、リスクは当たり前の時代になった。
・企業にはリスクマネージメントが義務付けられるようになってきた。そこでリスクの範囲が問題になり、企業では、
企業が潰れるようなリスク対策は出来ないのでやらないと考えるようになった。リスク受忍をめぐる自己責任の
議論が高まってきた。最近では遺伝子組み換え食品の安全性をどう考えるかという話題が出てきた。
・非常に分かりにくいリスクとして放射能リスクが出てきた。放射能については、ウランやバナジウムを掘り出して
いた労働者に肺病が多発し、山の病気として1920年に認定されたのが最初である。その後、放射能と健康の
問題が明確になってきた。その頃、原子爆弾が開発されており、1930~1940年は原子爆弾の研究開発を進める
ため、放射能と健康被害との関係は否定された。原爆の被害は爆風と爆発の被害のみで、放射能のリスクは
否定された。しかし、病気の人が増えてきた。1954年のビキニ環礁の水爆実験で想像以上の大きな被害が出た。
その結果、放射能の被害が課題になってきた。その後、広島の被害の問題も大きくなった。それに伴い、許容
線量の限度が厳しくなってきた。これに対して、合理的に達成できる限り低くするというALARAの原則が出てきた。
・放射能の健康への影響としては、高線量を一度に浴びることによる急性障害と、低線量を長期的に浴びることに
よる慢性障害があり、慢性障害は数~数十年後に発がんなどの症状がでるが、個人差が大きい。放射能の健康
への影響は、原子力の推進派と否定派では大きく考えが違ってくる。被ばく量と危険度は直線的に関係があると
いうことでは一致しているが、低線量ではラジウム温泉もあり、危険は少ないという意見とそれでも危ないという
意見に分かれている。福島では10~20mの被ばくをした人が出てきた。食品に含まれる放射能の問題も出てきた。
それまでは日本には食品の放射性濃度の基準はなかったが出てきた。福島の時に政府は500ベクレルとした。
しかし、チェルノブイリ原発事故の時に輸入品には370 ベクレルを輸入基準にしていたので、税関から苦情がでた。
2012年4月に100ベクレルの暫定基準が作られた。1年間食べ続けても1mシーベルト以下になるということだった。
・美味しんぼの中に、福島に行ったら主人公が鼻血を出す場面があり、あたかも放射能の理由で鼻血が出たという
ように取られる内容で反対が出た。風評被害ということにより、放射能被害が隠されていると町長から反論が出た。
O157,BSE,冷凍餃子などによる風評と実害の区別が曖昧なままになっている。福島でも10~20ベクレルの食品に
絞って販売しても売れなかった。被ばくしたので、食べるものは放射能のないものを食べたいという意見があった。
・福島では放射能の話はしないが、自分では心配しているとか、自分たちだけ避難するのはUnfairではないか、避難
出来た人は良いわねとか、避難して外から見ると不安などと、いうような色々な福島のジレンマがある。帰還の時
にもジレンマがある。しかし、6年後の29年3月には避難指示を解除する政府方針がある。除染の限界か、年間1ミリ
シーベルトを越える地域が広範に残っている。年間50ミリシーベルトの地域は帰宅困難とし、年間20ミリシーバルト
以下の地域は避難解除準備としている。帰還する人も境界に近い場所はどのように考える悩ましい問題がある。
・川内村では2012年に帰村宣言をしたが、2015年の帰還率は60%で、帰還した人は高齢者が多い。企業を誘致した
が東電時代に比べると給与が安い。通学も村外に行く必要がある。病院も遠いところに行かなければならないと
色々な問題がある。村が落ち着いてきたのと同時に、避難場所の人もその地域で落ち着く人が増えてきた、農産物
が売れないので、炭を作ったが売れない。20代や30代だけでなく、その親たちの世代もいない状況である。村では
将来構想が考えられない状況である。今後、帰還させる村や町はどのようになるのか心配である。飯館村は村長が
帰りたいと言っているので、帰還することになると思うが、飯館村は当初高い放射能を受けていることや水田の30%
に汚染後の土嚢を置いている状況である。30%が帰還希望者であるが、少ない人数で村を維持することが出来るか
不安である。東京電力では飯館村以外で新築する場合は地価の差額分を補てんする方針を提示している。
コミュニティが分断されているがどうすれば良いのか、主体となる集団をどう作っていくのかなどの課題があるが、
2014年11月に若い人が立ち上がっている。
・安心と安全は成り立たなくなった。不安視することにより、安全にしていく時代となった。福島の場合でも、戻った
方がリスクが高いのか、そのまま残った方がリスクが高いのか、自分だけでなく、周りの環境も考える必要がある。
国際的にも、DDTを止めたので、マラリアが増えているという指摘があり、DDTを復活させる動きがある。
ネオユニチノイド系の農薬は子供に障害を超すということで欧米では抑えていこうとしているが、米の生育を重視
する日本では制約を緩めている。
・消費者・市民の視点から考えると、リスク評価について、科学的証明に時間がかかるとか、リスクの負担者とベネ
フィットの享受者やその割合が異なる場合が多く、弱者小人数のリスクは評価されにくいが、国際的に環境正義
という考えがある。リスク評価を定量的に考える方法として、リスク=発生時のダメージ×発生確率 という方法
があり、質の異なるリスクを数字に置き換えて比較可能にすることが出来る。しかし、非知の危険が増えており、
重要化すべきとの意見がある。未知の問題への対応はゼロと見なされる場合が多く、不確定なリスクには政治的
介入が出てくる。
・これからの課題に対して、市民や消費者は、メーカなどへの意思伝達能力を持ち、社会意義と消費者責任を果たす
消費者像が必要である。長期的視野に立って、未来世代への責任と予防原則を重視し、実行していく必要がある。
「一言」今日のテーマは非常に関心の強いもので、楽しく聞くことが出来た。しかし、講師が最初に言われた通り、内容が
非常に多くて、理解するのが難しい状況であった。メモをまとめていても、最後の方は良く理解できないことが多かった。