日本近代音楽の150年        文学部   樋口名誉教授


   ・日本は150年前には極東の島国であり、更に、鎖国をしていた。それが今ではこのように進化している。日本の音楽の進展も

    素晴らしいものがある。世界的にも、このように音楽教育をしている国は少ない。今の日本の問題は自信がないことである。

    敗戦後、米国から自信を潰されたことがそのまま繋がっている。

   ・日本の音楽の根底はウイーンとの繋がりがある。ウインフィルが毎年日本に来てくれていることでも分かる。20115月に日本

    近代音楽館が出来て、主な資料はほとんど集まっている。2013年にヘボン150周年記念として東京オペラシティで大音楽展を

    行った。日比谷公園で軍楽隊が演奏していた。鹿鳴館でも欧米化ということで建設され、音楽が演奏されていた。自分の国の

    文化を大事にすることが必要である。自分の国の文化を粗末にすると国が滅びる。田中正幸さんがドイツに留学中に純正調

    オルガンを作った。セノオ楽譜は竹久夢二が装てんして大変綺麗だった。宮城道雄は17弦の琴を作った。

   ・近衛秀麿がユダヤ人を助けて、来日した人達が日本人を教育してくれた。その結果、日本の文化は急成長した。前史として、

    1543年にポルトガルのイエズス会の宣教師が来て、オルガンを演奏した。信長や秀吉も西洋音楽を楽しんでいた。1853年に

    ペルーが黒船で来航して久里浜に上陸して、軍楽隊が練り歩き、日本人に感銘を与えた。ヘボン博士が1859年に上陸した。

    ヘボン博士は大変な財産を持ってきた。ブラウン宣教師もリードオルガンとピアノを携えて来日して、神奈川成仏寺で賛美歌

    を歌ったり、オルガン演奏した。伊沢修二は高遠藩の鼓笛隊の鼓手だったが、アメリカに留学して、幼児教育を学んできた。

    帰国してフルベッキに師事したが、フルベッキは明治政府の顧問として活躍していた。ヨーロッパから来た宣教師はキリスト教

    の布教に来たが、布教は上手くいかなかったが、日本人が色々なことを学びに来た。ルドルフ・デイットリヒは来日して、西洋

    音楽を教えたが、一方、日本の色々な楽器を集めた。後に、東京芸大の元を作った。賛美歌を聞いた人達が唱歌を作った。

    オルガンを全国に配備して、唱歌を教えた。江戸時代の文化水準が高かったので、欧米の文化を短期間で吸収していった。

    帝国劇場なども日本人が作った。小山作之助は「夏は来ぬ」など、納所弁次郎は「兎と亀」などたくさんの唱歌を作った。山田

    耕作は東京音楽学校を卒業後、ベルリンに留学した。留学費用は岩崎小彌太が支援し、帰国後、山田耕作に楽団を作らせた。

    その後に1930年代に出てくるのが近衛秀麿である。

   ・ヨーロッパでは中世期以降ユダヤ人を差別していた。聖書でキリストを殺したのがユダヤ人だと教えたので、ユダヤ人が差別

    され続けている。ヒットラーの基本的な考えは反ユダヤであった。聖書に反ユダヤ的に描かれているのを利用した。最近の

    戦争は人種差別が原因であったと言われている。ユダヤ人は優秀な人が多く、ドイツの大学の教授の半分以上がユダヤ人

    だった。金融センターにもユダヤ人が非常に多かった。そこに、ドイツでは返すことが出来ないくらいの莫大な第一次戦争の賠償

    を要求されたので、ユダヤ人に矛先が向かったと考えられる。レオシロタ、プリングスハイム、グルリットなどの音楽家が日本に

    亡命してきて活躍した。金も力も持っていた人達が日本に来たのである。ドイツの復興の一因は汚い仕事をするため、トルコから

    たくさんの人を引き入れたことにある。欧州では大学を出た人は、汚い仕事はしないと言うようになっている。そのため、汚い仕事

    をする人が必要になる。

   ・藤原義江は明治学院中等部に入った。しかし、ハーフと言うのでいじめられていた。野球部に入ったが、トラブルが起き中退した。

    その後、浅草オペラで音楽に目覚めて、歌劇団を作った。木岡英三郎は明治学院を出て、東京音楽学校で習い、ドイツに留学

    した。ドイツでは有名な人に教わった。日本にはパイプオルガンがあったのは三越と帝国劇場だけだったので、ここでバッハの

    全曲を演奏した。今は演奏して良いところだけをつないで編集するようになっているが、当時は連続して演奏する必要があった。

    鈴木鎮一は、父親がバイオリンを作って財をなした人で、ドイツでバイオリンを習った。日本に帰ってきて、日本音楽院を作って

    失敗した。戦争中は松本に疎開した。戦後、才能教育で日本の音楽界で活躍した。早期教育のメソッドを確立した人物である。

   ・武満徹など、戦後に出てくる作曲家はすごい人が出てくる。違う文化は違う文化として認めなければならないが、日本人はそれ

    が出来る。芸術は人間の一番正真なことを表すのである。音楽は世界の人が分かるところが良いところである。

 「感想」日本の音楽は150年という短期間で発展してきたことが少し分かった感じがする。しかし、お話に出てくる人は

      裕福な人や強い支援者がいるで、人脈的にもつながりが強く、一部の人が日本の音楽を引っ張ってきた感じがした。

      更に、150年間に日本の音楽はどんどん変わっている感じで、西洋の発展に比べると変化が早過ぎるのではないかと思う。