ボランティアNPO活動論T 社会学部 河合教授
・今日はボランティア活動について一般論ではなく、具体的な活動として、佐久総合病院の若月先生の活動について話をしたい。
NPOは非営利活動であり、1998年に特定非営利活動促進法が出来た。フランスでNPO法案が出来たのは1900年であり、非常に
長い歴史がある。昨年、学生を連れてパリ大学に行って成年後見について話を聞いてきた。ぜひ、考えて欲しいのはボランティア
活動である。港区は他の地域と比べると進んでおり、お金もたくさん持っているが、ひとり暮らしに対しては難しい問題を持っている。
3人以上の高齢者が住んでいる世帯が多い。高齢者の親子が一緒に住んでいる世帯も多く、75歳以上の2人世帯が20%もあるが、
これには行政も手が差し伸べられていない。区民の主体的な活動が大事になっている。このような状況に対するため、チャレンジ
コミュニケーション大学を立ち上げたのが一つの目的である。チャレンジコミュニケーション大学を卒業した人は600人を超えている。
これはすごい力で、ネットワークが出来ている。今回の学生も主体的活動は何かを卒業するまでに考えて欲しい。
・長野県は県民の健康度が全国で一位である。これは、佐久総合病院を立ち上げた若月さんの活動があったことによると考えられる。
若月さんは東大を出て、マルクスの本を書いて、1年間投獄された。解放された後、大学の先生の計らいで、佐久病院に赴任した。
若月さんは健康医学を立ち上げた。医師は病気を見て、生活を含めた患者を診ていないと言った。若月さんは生活を含めた患者
を診るべきだと言って、佐久地方で医療活動を行った。その活動をまとめたテレビ放送「佐久総合病院の50年」のビデオを見た。
・若月さんは健康診断の実施と農村医療を立ち上げた。佐久病院に赴任した頃は農民は身体を痛めて農業をするという考えが定着
していたので、病院に行くと言う考えがなく、亡くなる時に初めて病院に行くという感じだった。農民が病院に行く考えがなかった。
若月さんは佐久地方を回って、健康診断の重要性を説明して歩いた。健康教育には指人形を作って行っていた。農民は良い生活
をするために、農業を行う。医師も農民が良い生活をするために健康にするのだと言っていた。農薬問題にも取り組んでいだ。
・健康診断も当時は80%くらい受信するようになったが、今では3割くらいに減っている。若月先生はカリスマ性があり、農業を改善
してきた。人口1万人の町で1000床の病院を経営しているのは珍しいことである。今の佐久総合病院は高齢者問題に取り組んで
いる。当初は農民のためにと言っていたが、今は地域のためにということになっている。若月さんは現場に入って取り組んでいる。
・港区の中に何が起きているのか、地域の中に入って考えて欲しい。都会と農村の違いや人口の規模が違うので問題も違っている。
港区の子供の調査をした時、学校も港区以外に行っていて、港区では寝るだけという子が覆う、港区に興味を持っていないので、
港区の文化も知らないことが分かった。港区内の商店も減っており、商店や個人事業についても考えて欲しいと考えている。
「感想」ボランテイアとNPOについて説明されるということで、佐久の若月さんの活躍を説明してくれたが、私としては
活動費の捻出など、金銭面も含めた活動例を知りたかった。若月先生は大病院を経営して、活動する費用が
捻出できる感じがしたが、個人が行う場合はどのようにすれば継続的に行うことが出来るか分からなかった。