海洋法と国際紛争 明治学院大学 吉井副学長
・国連に勤めて、海洋法の仕事をしており、その後、海洋法を教えている。海洋法は人間の活動によって紛争が起こるので、どう対応してきたか
説明する。昔は、海では魚を取ったが、国際的には物を運ぶことが大きな役割だった。このため、従来の国際法上では、海洋は領海と公海に
分けられていた。そのため、領海は外国船の無害航行の場合を除いて、沿岸国の主張が及び、公海はいずれの国も領有を主張しえず(公海
自由の原則)、国際法の規則に従って自由に利用できる(公海使用の原則)とされていた。しかし、第一次大戦から第二次大戦にかけて、大きな
船団をつくって魚を取りに行くようになった。そこで、海は資源としての問題が出てきたのである。
・海には領海と公海、無害通航制度があるが、無害通航については、無害ということで、軍艦の通航については色々と問題が出てきた。沿岸国は
領海で外国船舶に対して無害通航権を認めなければならないとしている。無害通航権では、通航は沿岸国の平和と秩序、安全を害しない限り、
無害とするとしている。 何が無害かということでは、行為基準説と態様基準説の2つがある。国際連合海洋法条約が採用されて、無害な活動
の内容を決めている。禁止する行為として、武力による威嚇、兵器を用いる訓練などとしている。
・1967年に佐藤内閣では非核3原則を明言した。核兵器の開発は行わない。核兵器の持ち込みを許さない。核兵器を保持しないという、非核
3原則である。更に、管内閣は核搭載艦は無害通航とは認められないとした。そのため、核兵器を積んでいるどうか言わなくなった。
・コルフ海峡でイギリスの艦船が魚雷に当たって大破し、25人の乗務員が死亡し、42名が負傷した事件があった。イギリスはアルバニアの同意
を得ないで同水域を掃海し、22個の機雷を回収した。機雷はドイツ製 で、アルバニアは知っていたのではないかという話が出て問題になった。
日本でも、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡などで、200海里を適用するとすべてが領海になるため、3海里を適用して通航できるようにした。
・1958年に国連の呼びかけで海洋資源の分配の基準を決めた。戦後、日本の船舶が大挙してアメリカの近くで魚を取っていて、アメリカの漁民と
揉めた。そのため、アメリカのトルーマン大統領が大陸棚宣言と漁業保護水域宣言をした。宣言の後、中南米や中東、アジアの国々が自国の
沖合いの大陸棚に対する排他的権利を主張するようになった。第一次国連会議が開催され、長く慣習化していた国際法上の領海と公海の制度
を成文化した。第三次国連海洋法会議で大陸棚は水深200mまでにあるもの、又は水深の限度を超えても天然資源が開発できるものを含めた。
北海大陸棚事件があり、領土の自然延長の線ということになった。しかし、向かい合いっている海岸では中間線を境目とした。衡平原則という
考えが、リビア・アルタ大陸棚事件で使われた。地図を変更しない、相互に自然延長しないことで判断された。
漁業資源から地下資源に拡がっているが、今のところは明確な基準はない。国際的には、200海里までが通常の考え方になっている。
「感想」海洋法というお話を聞いたが、きちんとした法律ではなく、紛争が起きるとその都度、判断して作ってきた感じがした。
今でも、日本と中国などで紛争になろうとしているが、明確な国際的判断を求めることは難しい感じがする。