東京大都市圏の空間形成とコミュニケーション 社会学部 浅川先生
・社会の仕組みと空間がどのように関係しているか、そこでの生活を紹介したい。戦後、東京はどのような社会変動を受けたのか、
東京大都市圏の社会空間構造変容に関する研究を行ってきた。1975年から2000年は倉沢さんと一緒に調べて本にまとめた。
社会変動と東京の空間形成は、戦後から高度経済成長期、経済低成長期、バブル期、バブル崩壊に分けられる。
1.戦後から高度成長期、(経済低成長期)
・戦後復興、朝鮮戦争特需、高度経済成長と続いた。戦争で人口が減り、区ごとの財政力の均等化を図るため、35区を整理・
合併して、1947年に東京23区にした。1947年にはGHQの指示で、町内会が禁止された。1947〜1950年に戦災地区の河川を
残土で埋めて処理した。東京には沢山河川があったが、八重洲口前の外堀や銀座の三十間堀川などが埋められなくなった。
・高度経済成長期には東京圏や大阪圏、名古屋圏に人口流入が起こり、都市化が進行した。東京圏は神奈川、千葉に人口
流入が起こった。経済低成長期には東京圏への一極集中となった。
2.バブル期、1980年代
・東京を世界都市化する政策により、産業構造が変化し、サービス業、金融・保険、不動産、ITなどに力を入れた。その結果、
オフィスビルの需要が増大した。土地利用もビジネスパークの再開発に変化し、地価は規制緩和を先取りして、1980年代
後半には地価バブル起こった。
・1960〜1975年と1075〜1990年の東京大都市圏の人口増加率を見ると、1960〜1975年には、東京から20Km〜50kmで人口
が伸びている。1975〜1990年には50km以遠で人口が伸びており、郊外化が進んだ。誰が郊外化したのか調べるために、
年少人口比率と生産年齢人口比率、老年人口比率を分析すると、核家族や拡大家族が郊外に移動したと思われる。
・出生年齢の同じ人が全国人口のうち、東京に居住する割合を示すコーホート・シェアを調べて見ると、1931〜1940年生まれ
のコーポート・シェアは14歳までは約15%であり、25歳以上は25%強であった。1940〜1960年生まれのコーポート・シェアは
同じ傾向だったが、1969年代以降の生まれのコーポート・シェアは14歳までが25%弱に、25歳以上は30%に増えている。これ
は子供が東京に集まり、生産年齢の人も増えたので、郊外に移動したと考えられる。団塊世代は25歳頃から郊外化が始まり、
1980年に進展していった。家族の時間によって社会空間構造に変化を与えたと考えている。
・1975年の東京23区のクラスター図を作ってみると、1975年は繁華街は日本橋や銀座だけだった。西側はホワイトカラーが
住んでいて、東側はブルーカラーが集まっていた。1990年には 繁華街が新宿、渋谷まで拡大していった。1975年の皇居
の東側地域を拡大して見ると、中核ビジネス地区(CBD)の横に伝統的卸商業地域が広がり、その東にブルーカラーの
既成住宅地があった。当時は東京や大阪で生産された日用消費財は日本全国の市場に出荷され、消費されたため、零細
規模の加工業者と卸問屋や製造卸などの流通部門が機能的にも空間配置的にも結合し重なり合って発展していて、産業
集団の集積を作っていて、工業化を支えていた。
・製造業事業所比率と製造業従業員比率で分析すると、1960年には、地場産業が埼玉に分散し、京浜工業地帯では大規模
な工場が多かったことが示唆される。1990年には城東は零細工場が残存し、城南はR&Dを担当する母工場が残存している
ことが示唆され、脱工業型社会に向けて、製造業が分散していることが分かる。また、東側は大規模マンションが増えている。
3.バブル崩壊
・日本経済の危機を乗り越え、グローバルな競争に勝ち残るため、東京の再興に牽引力を発揮させる政策を取った。小渕内閣
では国際競争力のある都市の再生、森内閣では都市再生と土地の流動化、小泉内閣では都市再生を国策として打ち出した。
石原知事は、環状メガロポリス構想やセンター・コア・エリアの再生などの都市改造により競争力を向上させた。
・東京圏に、タワーマンションやコンパクトマンション、ファンタジースポットなどによるホットスポットと都市の緑辺部と郊外にコール
スポットが出来た。ホットスポットでは、容積率の緩和とターゲット型規制緩和により利益供与が行われた。容積率緩和により
市場に供給できる空間の量を拡大すると共に、支援の必要な地区ではなく、投資吸収の可能なプロジェクトに助力を集中した。
旧国鉄用地の、丸の内、汐留、品川インターシティや六本木ヒルズ、工場跡地等の晴海アイランド、東雲キャナルコートである。
・1990年代には、住宅地価の下落や住宅ローン金利の低下、第2次ベビーブーマーが住宅購入年齢になったこと、所得税控除の
拡大などから、分譲マンション建築ブームが起き、都心の再利用が進んだ。超高層住宅や商業と住宅の複合用途のタワーマン
ション、都心の世帯規模の縮小用コンパクトマンション、ヨーロッパ風の街並みのファンタジーマンションがホットスポットを形成した。
・東京の社会動態と見ると、1964年から1997年まで転入数が転出数を下回っている。出生数は1960〜1970年をピークに
下がっている。1985〜1990年には若い人は流出してたが、1995〜2000年には流出は少なくなり、都区部に留まっている。
都心部で高齢比率が高まっているのは、高齢者が流入したのではなく、現在いる人が高齢化している状況である。寧ろ、
ヤングアダルトの比率が高まっており、再都市化が進んでいると考えられる。
・第1次オイルショックの景気対策として1973年以降、住宅建設を進めてきて、住宅不足から住宅過剰になってきた。また、
日本の住宅は竣工時に最高値で、以降恒常的に下落する特徴があるため、交換価値も下落している。ホットスポットの
影響で郊外バブルマンションは値崩れしており、マンションが売れない状況になっており、コールドスッポトが出来た。
・1990年代の変化として、東西のホワイトカラーベルトとブルーカラーベルトは不明瞭になり、郊外化は終息傾向である。その
ため、東西より、都心からの距離の特徴が大きくなっている。
5.2000年以降の変化
・2000〜2010年までの調査では、東京大都市圏には生産年齢人口が厚く堆積している。第2次産業は東京大都市圏の周縁
部に残存している。ホワイトカラーベルトとブルーカラーベルトは不明瞭になり、同心円構造がより明確になった。
・東京は20〜24歳のヤングアダルトが増えてきた。神奈川も若い人が少し増えているが、茨城、埼玉、千葉は変わっていない。
完全失業率は50km以内は変わっていないが、50km以遠は増えている。
・ピンポイントを見ると、大学卒が少なかった東向島では戦災にあっていないので、今でも雨水を利用しており、銭湯が残って
いる。大学卒業の多い東大島団地では大規模な集合住宅が並んでいる。南千住では町内会が機能していないので、地域の
連絡なども区役所がサービスするしかない状況になっている。
「感想」東京の変遷について、細かなデータから分析した説明で、面白かった。私が東京に出てきて、50年以上たっているので、
心当たりすることもあり大変、面白かった。これからの東京の変貌を課題も聞けるとありがたいと思う。