港区の風景と文化 −縄文時代から現代まで 明治学院大学 巌谷教授
・チャレンジコミュニケーション大学が始まって以来、これまで9回の授業をやっており、いつもテーマを変えているが、まだまだテーマがある。
港区には色々なものがあり、テーマには事欠かない場所である。
来週、見学で東京庭園美術館に行く予定だが、これまで2年間修繕のために休んでいた。昭和8年に建築されたが、その当時のものに回復
させており、ロココ風建築である。今回の美術館のテーマは仮面である。セーヌ河岸にオープンしたケ・ブラン美術館から借りてきて、展示して
いる。ケ・ブラン美術館は欧州以外の世界全域について美術品を集めており、アフリカやアジアのものも集めている。フランスのルーブルや
オルセー、ポンピドゥーセンター内の近代美術館とは異なっている。仮面を集めて展示すると面白く、驚きがあり、怖い感じがする。旧朝香宮
邸である東京庭園美術館に色々な仮面を展示しているが不思議な感じで、何かが見えてくる。
・港区は合併してできた。東京には15の区があり、大きな芝区と赤坂区と麻布区が合併した。1947年に赤坂区と麻布区が合併した。東京の周り
の地域も含めて、23区になった。何故、港区となったかは分からないが、当初は、東港区という名称だったが、言い難いので、港区になった。
合併した3つの区には共通した特徴がある。東京の南の地域で、交通の入り口になっている。徳川の菩提寺である増上寺があり、武家の
中屋敷や下屋敷家がたくさんあった。
・東京は7つの丘を持っていた地形であるため、東京は起伏が激しい。坂が多く、階段も多い。港区には山手と下町があり、白金や赤坂・麻布
台地を山の手と言い、古川などを下町と言って、起伏の激しさが歴史を表している。7つの丘は上野、本郷、麹町、牛込台地と、港区の赤坂・
麻布台地、白金・高輪台地がある。高輪の輪は尾根の意味である。品川駅の横は海だった。
・東京庭園美術館や自然教育園は松平讃岐の守の屋敷だった。高い所は大名屋敷や神社があった。品川駅の西には柘榴坂があり、頂上を
右に行くと二本榎通りがある。高輪支所の入り口から入り、二本榎通リ側を出ると5階になる。二本榎通リの横は急な坂である。下町に並ぶ。
ここら辺りには教会がたくさんある。低い土地は入り江だった。古川辺りは海から船が入って来れたところで、綺麗な川で、名所の一つだった。
・1956年の地図には都電があった。都電の発祥の地が港区で、品川から出る都電が1番で、三田から出るのが2番だった。目黒から出る都電が
5番だった。港区は縄文人が長く住んだところである。縄文人は常に狩りをしていたので、平らなところには住まなかった。入り江があると貝が
ある。縄文人にとって便利なところで、栗や木の実があり、貝を取って食べていた。そのため、貝塚が多い。三田図書館の2階に貝塚を蒐集
して展示している。伊皿子にも大きな貝塚がある。
・1907年の地図を見ると右側はすべて海だった。既に、明治学院がある。東京庭園美術館のところは海軍火薬庫になっている。港区には東京
大空襲でも残った建物が多い。戦災を免れたところが多いのは、戦争も終わりに近くなっており、戦後、米国が住む場所を確保したということ
である。海軍火薬庫のところは吉田総理が住む予定で外務省が買った。その後、西武が買い取り、東京都が買い取り、庭園美術館になった。
港区には大使館の97%がある。外国人が来る最初の土地が港区である。品川の横に御殿山がある。これは太田道灌の屋敷跡だった。今は
山がないのは、この山の土地で、お台場を作ったので、山がなくなったということである。
・朝香宮は海軍大将になった。夫人が明治天皇の8皇女である。東京庭園美術館の土地を海軍から買い取った。関東大震災で東京は変わった。
高輪は岩盤の上にあるので、被害は少なかった。震災の後は大恐慌が起こった。しかし、当時の日本は植民地を持っていたので、それで復興
して、満州事変になっていく。真珠湾を攻撃して戦争に走っていた。高輪プリンスホテルのところにあった朝香宮邸も大震災で壊れた。朝香宮は
フランスで軍事研究をしていて、海外にいた。その後もフランスに留まったが、交通事故にあって、フランスで療養することになった。その時に、
フランスでアールデコ展が開かれ、非常に関心を持った。アールデコは幾何学的装飾で作っていく建築で、従来の欧州建築と異なり、ゴテゴテ
していないすっきりした建築である。朝香宮夫妻はフランス人芸術家アンリ・ラパンに設計を依頼し、自邸を建てて、昭和8年に完成した。実際
に邸宅を建てたのは宮内庁の技師たちである。
・白金・高輪には森が多い。これは江戸時代に大名の屋敷が多かったためである。江戸屋敷は木を植えて庭を作るために、森になったためである。
「感想」 確かに、港区には歴史があり、色々なものがあると思う。今回の話は興味のあった地形的なことを説明して頂き、楽しかった。