日本美術史を愉しむために 文学部 山下教授
1.日本美術史を愉しむために (5月13日)
・明治学院の文学部では、最初に英語学科が出来、その後、フランス学科ができた。その後、美術学科が出来た。その時から担当している。
本来の専門は室町時代の水墨画である。長谷川等伯の水墨画「松竹図」と「猿猴図」が見つかった時には、鑑定を担当した経験がある。
・美術館の楽しみ方を話したい。来週、畠山記念館に行くが、地味な美術館であるが、お茶の道具では都内でも有数の美術館である。戦前
までの財界人はお茶をたてられるのが、一般的であった。戦後の財閥解体でお茶を点てる人がいなくなった。今は、大師会茶会で使った
道具を展示している。お茶が飲める美術館であり、めずらしい。山種美術館は近代の日本画を中心とする美術館であり、顧問をやっている。
・絹に書かれた日本画は実物を見ないと分からない。松園は若くしてシングルマザーになり苦労しているが、女性で初めて文化勲章を貰った
人である。来年は速水御舟を中心に展示する。炎の描き方は昔のものを踏襲しているが、我が舞っているところをリアルに見えるところは
変わっている。
・増上寺に展示室が出来た。台徳院電霊廟の1/10の模型であるが、精緻に模写している。五百羅漢図は、五人毎に書いた100本の絵も展示
されている。
・最近は展示会が多過ぎるので、どう見たら良いかというと、新聞を利用する方法がある。また、日本美術は行列で見るのに時間がかかる。
2.畠山記念館見学 (5月23日)
・畠山記念館は、荏原製作所を立ち上げた畠山一清さんが所蔵していたお茶の道具等を展示している美術館である。畠山さんがお茶の心を
理解して欲しいという思いがある。薩摩藩主島津家の別邸であったが、売却する話が出た時、分割されるのが惜しいと、畠山さんが一括して
買って茶室とした。畠山さんは東京帝国大学を卒業した後、ポンプの開発に取り組み、荏原製作所を立ち上げ、事業を成功させた。事業の
かたわら、お茶の湯を嗜み、長年にわたり美術品を蒐集した。三井物産の大番頭の益田孝(号:鈍翁)を師事しており、即翁と号した。
・所蔵している美術品を、広く一般の鑑賞に資するため、苑内に美術館を建設して、昭和39年に畠山記念館が開館した。美術館は外光を取り
込んだ展示室になっており、自然を活かした展示となっている。2階の展示室内には4畳半の茶室「省庵」と茶庭が設けられており、茶室にいる
雰囲気の中で作品を鑑賞できるようになっている。今では、畳に座って、美術品を鑑賞する機会が少ないので、貴重な美術館である。
・所蔵品は1300点あり、国宝が6点、重要文化財が32点ある。美術品の内、国宝の比率が非常に高いにも特徴である。
・益田鈍翁によって開かれた大師会を、昭和12年に畠山即翁が茶席を担当した。その時に使ったお茶の道具などを展示しており、織田信長の
井戸茶碗や千利休が作った茶筅などが展示されている。畠山即翁は茶会の様子を細かく記録しており、その記録も展示されている。
・お茶は総合芸術であり、昔から武士や実業家はお茶をたしなむことが必需ということであった。