日本の小説 国際学部 高橋源一郎先生
・私には5人の子供がおり、長女は44歳で、下の子は9歳である。長男が3人いる。小説家であり、比較文学が得意であるが、話が直ぐそれる。
私は講義中、歩きながら講義をする。歩いていないと考えられないタイプである。先日、直木賞をとった西加奈子と対談した時に、対談中は
ソファーに座っているが僕だけがゆっくりと身体が揺れているのを知った。大学の高橋ゼミは一番勉強になると言われている。その理由は
教えないからである。教えなければ、本を読めば良い。
・どうやって勉強すればよいか、学べば良いかということだが、誰も教わっていない。著名な学者や音楽家も教わっていない。好きなものを読んで
いくと、好きな作家が出来る。好きな作家の真似をするようになり、段々、好きな作家に似てきて、小説を書けるようになる。何かを学ぶとか、
教わるというと、死んだ人の話を聞いて、学んでいくのである。自分で行って、自分で学んでいくのである。僕は今でも先生を探している。
死んだ人には聞くことは出来ない。死んだ人なので、こちらから学びにいかないと教えてくれない。自分の先生になってくれる本は、自分が好きに
ならないと駄目だ。自分で読まないといけない。大学の授業で、新入生がきた時、最初、黙っていると生徒も黙っている。90分黙ったままで終わる
時があった。生徒に何故、黙っているのかと聞くと、先生が何も言わないので黙っていたとのことであった。今の学生は自分から学ぼうとしていない。
・何故、国際学部の教授をやっているか。国際学部には国際学の先生がほとんどである。何故、文学の先生がいるか。
30年前に、根維持学院大学で新しい学部を作る委員会を作った。委員として日本中から著名な先生を呼んできた。都留重人と武者小路公秀、
多田道太郎の3名が中心に教程や先生を決めてきた。学校を作る時、最初に講座を決める。その講座に2名の先生を決めていく。この時、国際
学部では文学と哲学の2つを入れた。3人ともエッセイや小説を書いていて、幅広く活躍していた。文学は人間を扱うもので、哲学はものを考える
研究である。この2つがないと人間の視野が狭くなるというので、文学と哲学を入れることになった。途中で両方の先生が変わり、高橋先生は文学
の教授としてきたが、哲学の先生はこなかったので、片肺になっている。
・高橋先生は大学とは縁がなくので、専門もないので、生徒の背中を押している状況である。今の若い人は本を読まないので、教えるより教えない
方が多い。平均年齢の高い会合は文学関係の集まりである。有楽町に文学の集まりがある。戦後の暗い小説を書いていた野間宏が中心になり
集まってきたが、年齢が上がっている。先日メールがきて、100年目になるのを期に解散するので、10年前に話した小説を書いて良いかと聞かれた。
・ここ数年印象的なことがあった。スタンダールの「赤と黒」という小説がある。野心的な青年が僧侶になり、階級社会でのし上がっていく話である。
昔はエミール・ゾラやモーパッサンを読んでいない文学者はいないという風潮があった。昔、読まれた小説が読まれなくなる傾向が強くなっている。
・NHKの番組で50人の大学生を集めたところで、スタンダールの「赤と黒」という名前を知っている人がゼロだった。東大の文化系の大学院の授業
でドストフェスキーを知らない生徒がいたことが、10年前にあった。今の若い人に読書が好きという学生に聞くと本ではなかった。私も今はネットで
本を買うようになった。本屋に行くことをリアル書店というようになった。本屋に行くと文庫の中身はどんどん変わっている。文庫本と言えば昔は岩波
文庫と新潮文庫と言われたが、今は色々と出ている。文庫を置く場所が決まっているので、昔、五木寛之が出た時、石坂洋次郎の本が本屋になく
なった。今は重松清になっている。若い人は戦後文学で活躍した人をほとんど知らない。忘れられるくらいなら、いなかったことにした方が良い?
・今の時代は30代、40代の人が作っていくが、これらの年代の人は野間宏がいなかったのと同じである。この年代も50年後は誰も知らない時代に
なっているかも知れない。文学の価値は永遠ではない。学生に難しい本を読ませている。ドストフェスキーの長編を読ませたら、15人からレポートが
きた。2人は長過ぎて読めなかったが、13人が完読した。以外にも感動した学生も多かった。逆に、年寄りも若い人が読んでいる本を読むと感動して
いくかも知れない。年代の高い人は知識があり過ぎて素直に現代の本に入れないのかも知れない。
・小島信夫の本は独特である。ロジカルなシリアスな説明を書いていた。一般的に、本は校正すると文字や歴史などの間違いを直してくる。小島さん
は校正を拒否した。本人は認知症であったが、それは、その時に思ったことなので直さない方が良いと考えている。若い人に小島信夫を読ませると
全員が感動したと言っていた。理由は自由だと思ったとのことであった。小島さんは文法から自由になっていた。小島信夫は妻が認知症で、長男は
アル中という状況で家庭的には暗い筈なのに、生きていることを楽しんでいる感じだった。年を取るとは明るいイメージではないが、これからが
楽しい人生だと思う。自由を手に入れ、未知のものに立ち向かうと人生を楽しくなる。
「一言」小説のお話ということだが、色々なお話が聞けた。特に、驚いたのは時代と共に読まれる小説家が変わっていくということだった。
最後の小嶋信夫さんが校正を拒否されて、思ったことをそのまま読んでもらいたいということで、文法から自由になったということは、今の
日本の状況を考えさせられる感じがした。色々な面で細かいミスを恐れるために、大胆に変わる必要があるのに出来ない状況を想像した。